くるみDiary

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あなたが中山圭子を殺したんです

きっかけは何だったのか覚えていませんが、歌手の中山圭以子さんのホームページを知ったんです、アイドル時代の芸名は中山圭子。その中にヒストリーという項目があって生まれてから現在の事が書かれてありました。

俳優である父親の佐竹明夫さんとフジテレビの「オールスター家族対抗歌合戦」に出演したのがきっかけでスカウトされ、映画の主題歌を歌ったりモデルの仕事をしていたのですが、本格的なデビューは1980年になってからです。

サンミュージックの創業者である相澤社長が何度も中山さんの家に通って「ぜひうちの事務所からデビューさせて下さい」という感じだったようです、最初は両親も反対していたのですが、理解を示し「パパが私を愛してる」で歌手デビューする事になりますが、ここで問題がおきます。

ティモテ(シャンプー)のCMとタイアップの予定が直前になって日本では許可されていない成分が入っていた事が分かって発売中止、タイアップもなし。
タイトルの「あなたが中山圭子を殺したんです」というのは、プロデュースをしていた酒井政利さんが、広告代理店の担当者に言った言葉です。

CMのタイアップが無くなって売れなかったら、歌手としての中山圭子は死んだも同然と思ったんでしょう、酒井政利さんも自分が担当した歌手は売れてほしいし、必死ですよね。

その2か月後に同じ事務所、レコード会社から松田聖子さんがデビューします、本来なら中山さんとの契約で聖子さんはこの年にはデビューできなかったのですが、「裸足の季節」でデビューする事になります。

その後の聖子さんの活躍は誰もが知るところですが、華々しいデビューをした松田聖子の影に中山圭子という人がいたというのを知ったのは15年ほど前になります、それまで知りませんでした。

中山圭子さんのWikipediaが作られたのは割と最近だと思います、当時は検索してもほとんど情報が無くて知る事ができませんでした。

中山圭子さんが「勝利の女神はいつも松田聖子に微笑んでいた」と書いていましたが、それくらい聖子さんの人気は凄かったですよね。事務所に聖子さんと2人でいた時に、福田専務から「聖子は売れていていいな」と目の前で言われて傷ついたらしい💧

芸能界の父親代わりだった「オールスター家族対抗歌合戦」のプロデューサーだった人から「ソニーもサンミュージックも松田聖子しか見ていない、僕はもう見ていられない」と言われ3つの条件を出されました。
1つめはこのまま続ける(その場合は父親代わりは辞退する)、2つめは声楽家の立川清登さんに弟子入りする、3つめは引退して普通の女の子として生活する、でした。
中山さんが選んだのは2つめの立川清登さんの弟子入りでした。

中山さんはそれまで成城学園に通っていましたが、デビューする事になり堀越高校に入学したのですが、それほど制服も着る機会もなく他の高校に編入、制服は比企理恵さんにあげたらしいです。

このヒストリー、もう削除されてしまってありませんが、「スターダッシュNO.1!」で共演していた時、落ち込んでいた中山さんに榊原郁恵さんが手書きのメモを渡して励ましてくれたエピソードなども書いてありました。

中山圭以子さん、その後も病気やケガをしたり大変な思いをされたみたいですが、今でも歌手活動を続けているようです。