くるみDiary

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(感想)「典子44歳 いま、伝えたい」!映画「典子は、今」

「典子は、今」は昭和56年に公開されて大ヒットした映画ですが、私は学校の体育館で上映された時、観ました。
昭和37年1月27日、熊本市生まれの辻典子さんは、看護師をしていた母親が交代勤務の影響で不眠症に悩まされ、市販の睡眠薬を妊娠中にも服用していてその中にサリドマイドが配合されていました。
サリドマイドは(旧)西ドイツの製薬メーカーが昭和32年に開発し、日本に登場したのは翌年の事。

妊娠初期に妊婦がその睡眠薬を服用すると、胎児に独特の奇形が生じる事が分かったのですが、欧米諸国は即時に薬品の回収を始めますが、日本は奇形児の出産が報告されていたにも関わらず、他の製薬会社にも販売を許可してしまい、販売を停止して回収を始めたのが海外より10か月も遅れての事。

しかも、回収が徹底していなかった事から大勢の被害者を生む事になってしまいます。被害者の症状は上肢欠損が主な特徴ですが、視聴覚障害にも及び、典子さんも右目の視力がほとんどないとの事です。

典子さんは4歳からマスコミに取り上げられています。
そのきっかけは典子さんの母親が雑誌「女性自身」のサリドマイド児の記事を読み、その両親に手紙を送った事がきっかけで、女性自身の記者が典子さんの存在を知り、それ以降は小学校入学式など度々テレビなどに出演をするようになります。

典子さんが養護学校に入学を拒否された理由がズボンの上げ下げができなかった事、1人でトイレを済ます事ができないからでした。
その後、テレビに出演したりそれを見た人達の後押しもあり、普通校に入学する事ができました。
問題はやはりトイレなのですが、典子さんの母親がお昼休みに学校に来て1回だけという事で、しかもそれが小学校から高校卒業するまで続いたのですから、かなり大変だったろうなと思います。

本には書かれていませんが、女性の場合、生理があるのでナプキンの交換なども必要なので、親子で相当の忍耐力が必要だったのだろうなと思いました。

典子さんは福岡県にあるグラフィックデザインの大学に進学を希望しますが、母親から一人暮らしは無理だろうという事で反対されます。
その後、熊本市役所に就職、1年後に映画「典子は、今」に出演、大ヒットとなり市役所は典子さん見たさで沢山の人が訪れるようになります。
典子さんは当時、流行っていた松田聖子さんの髪型を真似ていたのですが、監督の要望で髪をカットする事になったそうです。
栗のようなマシュマロカットで本人は嫌だったらしい🌰😅

手紙はひと月、3万通も届き反響はすさまじいものがありました。
実はその中に、映画を観て感動した高倉健さんが、実名で手紙を出したという事を、配給会社の東宝の人から聞いて、びっくりしてその手紙を探し出そうとしたのですが、六畳の部屋が天井まで届く段ボールの山になっている状態で、結局断念してしまったそうです。

21歳で5歳年上の会社員と結婚。出産してからはマスコミからの取材は断っていたそうです。結婚直後に漢字の「典子」から平仮名の「のり子」に変えたのも、映画の典子と決別するためでした。

典子さんはいじめを受けた事はなかったと書いています。
それは「幼いころからマスコミに取り沙汰されたおかげで、比べようのない優遇、過剰なまでの親切受けていました、そうでない立場だったらもっと早い時期にいじめや中傷などを受けていた事でしょう」
と冷静に自己分析しています。
確かに小学校の普通校への入学、熊本市役所への就職試験などマスコミが取り上げ、まわりが応援するといった事でプラスに働いたのも事実ですが
何より典子さんの努力があっての事です。
それを考慮しても典子さんとマスコミとは、持ちつ持たれつのような関係でもあったのだろうなと思います。

長年勤めていた熊本市役所を退職し、スマイルビーを発足し講演活動を行う事になるのですが、それらの事を含めて2006年に「典子44歳いま、伝えたい」出版した時も、テレビで取り上げられていました。
私はこのテレビを見るまで典子さんの事はすっかり忘れていました。
典子さんはあくまで普通に生活したかったとの事でマスコミとは距離をおいていました。

生まれてからの事、映画がヒットして一躍有名になってからの事
あの時、典子さんが何を考え、どう生きてきたのかが分かる本でした。