フリーペーパーに樫山文枝さんのインタビュー記事があったので読んでみました。
樫山さんが女優を目指すきっかけとなったのが、中学3年生の時に木下順二の戯曲「夕鶴」の主人公つうを演じた事がきっかけだったらしいです。
その後、俳優座の養成所に入ったのですが個性の強い人達の中で自分の普通さ平凡さに辟易していたのですが、民芸では普通の人も娼婦も狂人も演じなければいけないと教えられ、民芸で良かったと話しています。
宇野重吉さんの指導は大変厳しいものだったと言っていました。
樫山文枝さんと言えばNHKの朝ドラ「おはなはん」で知られていますが、私はこのドラマは見た事がないんです。でも昔は懐かしのドラマといえば「おはなはん」を取り上げられる事が多かったので知ってはいました。
テレビ時代の元祖国民的女優でしょうか。
樫山さんの記事を読んでいて、昭和時代は俳優座や劇団民芸などの新劇に所属している俳優がドラマで活躍していたなと思い出しました。
メインキャストで出演する事も少なくなかったように思います。
樫山さんは劇団民芸所属ですが同劇団の日色ともゑさんもよくドラマで見かけたなと思いました。
昔はNHKの朝ドラも新劇所属の俳優がヒロインに選ばれる事も多かったように思います。
それがいつの頃からか新劇の俳優をドラマで見る機会が減ったように思います。
樫山さんや日色さんのような有名な俳優は別として、劇団民芸のホームページを見てみると若い俳優は初めて知る名前ばかりですね。
まあ当人達は舞台が好きで舞台俳優として活動しているのですから、テレビに出るかどうななど考えてもいないと思うのですが、昭和の新劇の俳優がドラマで活躍していた時代を知る私としては、何となく寂しい状況だなと思ってしまいました。
これも時代の流れなんだなと思います。
2年前に夫で俳優の綿引勝彦さんが亡くなってからは初めての一人暮らしで寂しいとも言っています。
綿引勝彦といえば大家族ドラマ「天までとどけ」のお父さん役が印象に残っている人が多いかもしれませんね。
樫山さんは80代になった今も舞台に出演しています。