くるみDiary

昭和の少女漫画や日々感じた事を書いています!

2回目の高校入学・中退と心療内科入院

最初に入学した高校は夏休み前に中退し、その後アルバイトをする事もなくひきこもっていた。でも実家にではなく親戚の家だった、そのうち再度高校受験してみたらと勧められ受験勉強を始める。

それと同年の秋頃に心療内科で診てもらうように言われて行く事にした。

ここでも私は間違いだったと思うのは当時、不登校というのは素行不良か精神的な病気のどちらかと思われていた傾向があり、言われた通りにしてしまった事。後で考えれば病院には行くべきではなかったと後悔した

心療内科なのでうつ病という当時はかなり偏見をもたれていた時代であったが、心の病だろうと思われ、私の不登校もうつ病からだろうという事だった、というかそれしか診断のしようがなかったようだったのだが。

しかし医師が話すようなうつ病の症状は私には全くと言っていいほど当てはまるものがなく、でも医師はうつ病を前提として診察しているから抗うつ剤を数種類処方された。あの薬はかなり体がだるくなり、気力が失われて行くような感じがした。

その翌年、それほど偏差値の高くない高校を3つ受験し合格したがそれは前回の記事でも書いた通りなのですが、やはり2回目の高校進学も通学する事が困難となり不登校になってしまった。

通院していた心療内科の医師からは入院を勧められたので言われるままに入院した。

hanae7.hatenablog.com

この時の私は入院をすれば学校に行かなくて済むきっかけができるという、ズルい考えが頭の片隅にあったように思う。うつ病を患っている同じ病室の人の話しを聞いてみると私とその人達の症状というのは全く違っていた。

もちろんうつ病といってもいろんなパターンがあり人それぞれだと思うが、みんな口を揃えて言うのがうつ病になると、「眠くて仕方がない」と言う事だった。私はそういった症状はないし、その患者さん達とは感じ方も違うなって思っていた。

当時は分からなかったから仕方がないのだが、その入院時に私に発達障害があるかどうかの診察をしてもらえばよかったなという事。

ただ「不登校=うつ病」という診断しか時代的にできなかったのかもしれない。

高校入学して間もなくの入院、担任の先生と数人の同じクラスの人がお見舞いに来てくれていたのだが、ろくに学校に行っていないので先生と生徒の顔も名前も知らない状態だった。その後、退院。

退院して初めて登校した時、一日だけ同じクラスの女子生徒が一人、私にずっと付いていてくれていた。学級委員長的な感じのしっかりとした人だった、もしかしたら学級委員長だったのかもしれない、おそらく担任の教師から頼まれたのだと思う。私より一歳年下なのにしっかりしているな~と思い、私は本当に駄目な人間なんだと思っていた。

私が対人恐怖症なので特に話す事もなかったが、その人は私の行く先々に付いて来てくれていたが、先生に頼まれたとは言え自分の時間を私のせいで潰されてしまって申し訳ないなと思っていた。

私なりに努力をして頑張って今度こそ通学しようと思ったが、もう学校に行きたくないという気持ちが強くて無理だった。結局、また高校を中退してしまう事になった。前回の記事で2回目は半年くらい在籍していた事を書きましたが、退院したのが夏休み前だったはず(それも曖昧な記憶なので)、もしかしたら半年もいなかったかもしれません。

本当にいつ頃やめたのか覚えていないんです。

 

私が中学生の時、男子生徒の一人がいつの間にか学校に来なくなっていた、不登校である。私もやっとの思いで通学していたのでその人は勇気があるなと思った

「学校に行かないという勇気」

私も中学には行きたくなかったが家族から何を言われるか分からないし、田舎なので世間体があるからと思って我慢して通っていた。でもその我慢は体に症状が現れ、湿疹ができ次第に悪化して化膿したりしてひどい状態になった。

それでも皮膚科に行く事もなく市販の塗り薬で対処していた。学校に行きたくないという事を誰にも話せずにいたからかなりつらい思いをした。その不登校の男子生徒は卒業式にも来なかった、彼がその後どうなったかは知らない、私は中学の同級生とは誰とも連絡を取っていないので。

学校には必ず行かなくてはいけないものという気持ちがどこかにあったので、義務教育が終わって高校生になってからはそのがんじがらめになっていた気持ちがほどけてしまったのかもしれない。

こうして私は2回も高校を中退する事になってしまった。今でも思うのは私はうつ病を患ってはいなかったという事うつ病で不登校になる人もいるだろうが私はそうではなかったと思っています。