くるみDiary

昭和の少女漫画や日々感じた事を書いています!

高校を2回も中退してしまった話し

幼稚園に入学した時から人と接するのがとても苦手で、会話もほとんどできない状態だった。そんな感じで小学校に入学、担任の教師のいじめそれに輪をかけて同級生からのいじめもありやっと通っていた状態だった。

中学生になってごく一部の人とは会話ができるようになったが、やはりいじめを受けるというのは避けられなかった。男子からの陰湿ないじめ(容姿や性格を揶揄されるなど)もあった、考えてみると私は中学時代、男子と口をきいた覚えがない。

中学3年になると進学か就職かという話しになる、あの時代もうほとんどの生徒が進学をしていたが経済的な理由などで就職をした人もわずかながらいたように思う。

正直なところ高校には進学したくなかった。理由は学生生活を送りたくなかったから。中学でさえやっと通っていたのに私にももう無理だと思っていた。

しかし今の時代、高校くらいは卒業しておかないとという親の意向もあり進学したのだが、入学した日にもう逃げ出したかった。新しい人にも環境にも馴染めず結局一週間で行かなくなってしまった。

そして夏休み前に退学届けを出した。

兄弟からは恥知らず、クズ呼ばわりされたがもう学校に通うのは精神的に参ってしまってつらかった。

その後は何をすればいいのか分からなかった、私は将来どんな職業に就きたいとかという夢もなかったし。本当は中学を卒業したら和裁の専門学校に進学したいという気持ちもあった。

そこももちろん学校という集団生活には変わりないのだが、和裁を覚える、手に職をつけるという目標があればもしかしたら私でも通えるのではという気持ちもあった。それに和裁だと家でできる仕事だしそれを職業にしたら社会に出ても人間関係に悩まされる事は極力避けられると思ったから。

でも結局迷った末、高校進学を選んでしまい中退。

来年、もう一度高校受験してみてはという周りからの勧めもあり三つの高校を受験した。看護学科、園芸科、普通科(英語コース)どれもそれほど偏差値の高くない高校だったので全て合格したのだが、私が選んだのは普通科(英語コース)だった。英語が苦手なのに。

この時はどうすればいいのか、何を選択したら一番いいのかという判断能力も著しく欠如していた。2回目の高校進学はどれくらい通っていたのかはっきり覚えていない、ただ緊張のあまりお昼のお弁当が喉を通らなかったのと、やはり前年の高校の時と同じで友達ができなかった。

多分半年くらいで中退したと思う。

ハッキリと覚えていないのはもう思い出したくなくて記憶から消したいと思っていたのか、さすがに高校を2回も中退する人なんてそういないだろう。

私は両親とはそりが合わなかったが2回も高校入学して学費や制服代、その他お金を使わせてしまった事は申し訳なかったと今でも思っている。

でもどうしようもなかった、やはり私は発達障害なんだと思う。

子供の頃に病院で診てもらえばこういった無残な結果にはならなかったように思う。私が人並みの行動がとれるなんていうのは最初から無理があった。

hanae7.hatenablog.com

実は後になってあの時こうすれば良かったという事に気づかされる事になるのだが、この時は何も分からなかった。