くるみDiary

昭和の少女漫画や日々感じた事を書いています!

マリリン・モンローとの関係から見たスーザン・ストラスバーグの選択

私がスーザン・ストラスバーグを知ったのは1986年頃に,、NHKで放送されたマリリン・モンローを特集した番組を見た時です。
モンローとゆかりのある人という感じでインタビューに答えていました、だから女優としてではないんです。

スーザンは1938年生まれでアクターズ・スタジオで演技指導をしていたリー・ストラスバーグの娘なのですが父親の方が圧倒的に有名だと思います。

彼女の書いた自伝「女優志願」(1985年出版)を読んだ事があるのですが、リチャード・バートンと不倫をしていたとかその後、別の男性と結婚をしたというプライベートな事はあまり興味がなかったのですが、後に夫となる俳優のクリストファー・ジョーンズと付き合い始めた頃、彼からマリファナを勧められた事が書いてあって、他にもLSDやメスカリンという薬物名が書いてあってLSDはニュースなので聞く事がありますが、メスカリンなんてこの本で初めて知りました。

この本では女優として期待されながらその後あまり活躍できなかったのはなぜなのかなという部分に興味をもちました。

ブロードウェイの舞台「アンネの日記」で高い評価を得て前途洋々な感じがしたのですが作品に恵まれなかったというのもあると思います。

その一つが「アンネの日記」が映画化された時、スーザンは出演しなかった。

すでにファン・ダーン夫人役に出演の決まっていたシェリー・ウィンタースからも助言があったらしい。

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※私が映画の方にも出るのか、声をかけられたか、といつも聞かれた「いいえ、でも、もし私がやる事になるんだったら、自然にそうなるんじゃないですか」と答えた。
早々とヴァン・ダーム夫人役に決まっていたシェリー・ウィンタースは以前「陽のあたる場所」でジョージと一緒に仕事をした仲で彼の人柄をよく知っていた。
シェリーが言った「スージー、カリフォルニアに飛んで彼に会いなさい、一緒に仕事がしたいと話すのよ、それからお母さんと一緒じゃなくて一人で行く事、私はジョージって人が分かっているんだから、会いに行ったら、きっとその努力に応えてくれる人よ」

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※私は6か月先の映画の事より「今この時」の問題で頭がいっぱいだった、映画に出たかったがその時の私は舞台でアンネの役をとことんまでこなしきれなかったのと同様に、映画のアンネ役を演じきれないような気がしていたのだ、やがて、その役は若くてきれいなモデルのミリー・パーキンスに決まった。

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友人がパーティでスティーヴンス氏と同席した、彼女はこらえきれずに尋ねてみた「私の友達のスーザン・ストラスバーグをどうしてアンネ・フランクで起用なさらなかったんですの?」彼はじっと見返してこう言ったという彼女がやりたいと言ってこなかったからだよ」やはり、シェリーの行った事は正しかったのだ。

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この言い方を見るとやはり映画版に出演しなかったのを後悔しているようにも受け取れました。
「もし私がやる事になるんだったら自然にそうなるんじゃないですか」と本人が言っているように舞台のアンネ役で好評を得たのだから、自然とオファーが舞い込むのではと思っていたのかもしれません。
だからわざわざ監督に会いに行かなかった。

この自伝のタイトルにもなっている「女優志願」シドニー・ルメット監督(1958年)は彼女の主演映画ですが、この役に関して本人は納得していないようでした。

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※この映画はキャサリン・ヘプバーンがオスカーを獲得した「朝顔」の再映画化だった、彼女の演技を参考にするのはやめた、劣等感にうちのめされるのが怖かったのである、私の演技は陳腐で不自然だった、自己嫌悪でいっぱいだった、過剰な演技は恥ずかしかった。

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私は「女優志願」は1980年代後半に一度見た事があるのですが、あまり印象に残っていなくてそれほど面白い映画とは思えなかった記憶があります、今見たら分かりませんが。

映画「アンネの日記」に出演したミリー・パーキンスはその後、女優として活躍したわけではなかったので、スーザンがこの映画に出演したからといってどうなったかは分かりませんが、少なくとも代表作にはなっていたのではないかなと思いました。

主演ではありませんがスーザン・ストラスバーグが魅力的だなと思ったのが映画「ピクニック」なんですがスーザンは小柄で華奢なので姉役のキム・ノヴァクがかなり大柄に見えてしまって・・・でもこの小柄な感じが活かされていて「女優志願」よりも「ピクニック」のミリー役の方がしっくりくるように思いました。

あと気になったのが「女優志願」はキャサリン・ヘプバーンの「勝利の朝」のリメイクなのですが本には「朝顔」と書いてあったんです

原題が「Morning Glory」なので朝顔でいいのですが、翻訳家の中尾千鶴さんが原題そのままの表記にこだわったのかもしれませんが、日本では「勝利の朝」で知られているので「朝顔」ではなく「勝利の朝」と書いた方が分かりやすかったように思いました。

アンネ・フランク役はオードリー・ヘプバーンにもオファーがあったみたいなのですが、28歳の彼女が14歳の役を演じるのは無理だと断ったらしいです。

雑誌「スクリーン」で1958年度のファン投票・女優部門で1位になっているので、一時期、日本でも人気があったようです。

映画「アンネの日記」に出演していたら今でも知名度という点ではもう少し高かったのではと思い、ジョージ・スティーヴンス監督に会いに行っていれば映画の方にも出演できたかもしれません。

タイミングというのは難しいしこれも運命なんだなと思いました。