くるみDiary

昭和の少女漫画や日々感じた事を書いています!

自分が発達障害だと思う時

身近にいる人には話しにくい事、でも最近、ブログだったら自分の思っている事を書けると思ったので、昔から理解され難くそれは今でも続いている事なのですが、私はもしかしたら発達障害なんじゃないかと思っています。

もちろん病院で診てもらったわけではないのですが、発達障害の特徴を読んでみると自分に当てはまると思ったからです。まず私は幼稚園の頃から無理して通園していました。人と接する事が何よりも苦手だと初めて知った時です対人恐怖症、コミュ障と言われるものでしょう。

さらに私に追い打ちをかけたのが小学校に入学してからです、理由は分からないのですが、入学した日から担任の女性教師が私に対する罵詈雑言がひどく、恐ろしさのあまり一言も口をきくことができなくなってしまったのです。

他の生徒にはしません私にだけです、理不尽だなと思ってはいましたがその教師は2年生まで担当していたのでその2年間はとても長く感じました。

担任の教師がそういった態度だったので生徒も私に対してのいじめがひどかったです、私に何をしてもその教師から怒られる事はないだろうと思っているのでやりたい放題です。

3、4年生の担任はまだ良かったのですが高学年になると低学年の時のあの教師と似たような感じの人が担任になってそれは地獄でした。

1970年代当時はまだ発達障害という事に関してそれほど知られていなかったと思います、都会ならまだしも私が住んでいたような田舎ではなおさら。私の通っていた小学校では私が入学する2年前までは特殊学級がありました。

それを知ったのが入学して間もない頃、私があれほど担任の教師からいじめを受けていたのはいつも下を向いて誰とも口をきかず人並な事ができなかったからなんだと思います。

でも次第に慣れてくると話しやすい同級生とは少しは会話をする事ができたし、何よりあの担任の高圧的な態度で私が萎縮してしまっているのをあの教師は気づいてはいませんでした。

自分が周りの生徒と同じようにできないのであれば、特殊学級に入学したかったと思いました。でもそれはすでに閉鎖してしまっていたので叶わなかったのですが・・・

大人になってからもそうなのですが、私を見た人から笑われたり、見下されたりした事は数多くあります。そういった事が重なってさらに対人恐怖症に拍車がかかり、まともに人と接する事ができなくなってしまいました。

外でつらい事があっても家族が優しければ救いがあるのですが、親、兄弟はとても冷たく家庭でもいじめを受けていたのでどこに行っても針の筵でした。生き地獄とはこの事をいうのだと思いました。

私が子供の頃、病院で診てもらって障害があると診断されていれば、それに見合った環境や生き方ができたのではないかと、今更悔やんでも悔やみきれない気持ちがあります。

小学校を卒業してからもいろいろあったのですがやはり周りの人と同じことが出来ない、話しを聞いてもすぐに理解をする事ができない、自分でなぜこんなに当たり前の事ができないのかと自問自答していました。

やはり発達障害なのだと思います

親兄弟からクズ呼ばわりされて育った私はいまだにトラウマに陥ってしまっています、他の人ともうまく行かなかった、それは私に障害があるからなんだと思ったのは数年前の事です。

もっと早く分かっていればこんなに苦しまなくても済んだのかもしれません。